久しぶりにヴィヴェカーナンダを思いだしました。
弟子=スワミジー、シュリ・ラーマクリシュナはよく、まずカーマ・カーンチャナ(色欲と富)をすてなけれは宗教的自覚に向かって大きく進むことはできない、とおっしゃいました。もしそうなら、家住者はどうなるのでしょうか。彼らの心はこの二つのものに向けられているのでございます。
スワミジー=その人が家住者であれサンニャーシンであれ、女と金に対する欲望がなくならない限り心は決して神の方には向かない、というのは真実だ。心がこの二つに捕えられている間は真の帰依心、不動心およびシュラッダー(信念)は生まれない、ということは、一つの事実として知っておきたまえ。
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